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大阪地方裁判所 昭和32年(ワ)4818号 判決 1958年7月15日

原告 坂東義雄

被告 大阪市長中井光次

主文

本件の訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、「被告は原告に対し金三百五十六万円を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めると述べ、その請求の原因として、「原告は二級国道大阪神戸線の沿線である大阪市此花区春日出町一丁目二番地の一に宅地三百二十二坪二合四勺及び同地上の家屋を所有しているものであるが、被告は昭和三十年度及び昭和三十一年度における国道防潮対策工事として右国道の右宅地に沿う部分を長さ約五十メートルに亘り、盛土して最高二メートルに引上げるとゝもに幅員をも拡張する改築を行つた。

そのため原告の右家屋は路面の下方に位置するようになり、原告の家屋における営業も不能の状態に陥つたので、盛土して右宅地を地上げし、家屋の位置を新路面まで引上げる必要がある。そしてその盛土には砂量四百五十立方坪を要し、その工事費として金二百二十五萬円、砂の運搬費及び人件費として金九十九萬円、家屋の移動費として金二十二萬円を要する上、すでに営業不能により被つた損害は金十萬円に及んでいる。原告は右工事着工の数日後から昭和三十二年四月下旬に亘り引続き大阪市土木局工営所長、同局橋梁課員、同課長、大阪市土木局長に対し右費用の補償を請求したが要領を得ないうちついに拒絶せられ、同年六月二十四日被告に対し書面で請求したところ、道路法第七十条の対象にならないとの理由で拒絶の回答を受けた。しかし右は道路の改築により道路に面する土地につき盛土し、工作物を移転する必要を生じた場合にあたるから道路法第七十条に基き右道路の管理者である被告に対し右費用等の合計金三百五十六萬円の支払を求める。なお原告は右のように大阪市当局者に対し請求したほかは、他の行政庁に対し何らの申立をしたことはない。」と述べた。

被告の指定代理人等は、本案前の主張として、主文通りの判決を求めると述べ、その理由として「行政事件訴訟特例法第三条の訴でもなく、行政処分無効確認の訴でもない本訴において行政庁である被告には当事者能力がない。また大阪市此花区春日出町中一丁目及び同町上二丁目にまたがる二級国道大阪神戸線上の春日出踏切道の改築に附帯する坂道取付工事は、被告と日本国有鉄道との協議により、日本国有鉄道が工事を施工し、大阪市がその費用を負担したものであり、右工事は昭和三十一年一月一日に着工し、同年四月十六日に完了したのであつて、被告が道路法第七十条により補償金を請求するには同条の定めにより工事終了日から一年以内に大阪市に補償の請求をし、協議不調の場合は収用委員会に裁決を求めなければならないのに、原告は右一年を徒過し、昭和三十二年六月二十四日付の書面で補償の請求をしたゞけである。」と述べ、

本案に対する答弁として、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めると述べ、答弁として、「被告は前示坂道取付工事として春日出踏切道の幅員を三メートルから七メートルに拡張するとゝもに、その位置を道路の中央に移転させるため同踏切道を中心として北側の幅員二十メートルの道路の中央に幅員七メートル、長さ百メートルの坂道及び南側の幅員十七メートルの道路の中央に幅員七メートル、長さ九十四メートルの坂道を取付ける盛土工事をした。原告の主張事実のうち右事実以外の事実はすべて争う。」と述べた。

理由

本訴は結局当事者能力のない者を被告とし、且つ訴提起の前提要件としての収用委員会の裁決を経ていない点で不適法であると解するのであるが、原告は手続上種々の疑問を抱き納得しにくい点も多かろうと察するので、煩をいとわす稍詳しく理由を説明する。

先づ土地収用法第四十条、第四十一条、第百二十九条、第百三十条、第百三十二条、第百三十三条等の規定を見ると、一定の公益事業の必要上土地等を収用又は使用する手続の一つとして、起業者は収用又は使用しようとする土地等の所有者及び関係者と、収用又は使用につき協議し、協議が成立しないときは収用委員会に裁決を申請し(起業者が申請しないときは同法第三十九条により土地細目の公告が失効して収用又は使用することができなくなる。)、その裁決に不服のある起業者又は土地所有者等は、裁決のうち損失補償に関する部分については、起業者は所有者等を、所有者等は起業者をそれぞれ被告として、一定の期間内に裁判所に訴を提起することができ、その他の部分については先づ建設大臣に対して訴願し、それに対する裁決を経た後裁判所に裁決の違法を理由としてその取消又は変更を求める訴を提起することができるという手続が定められている。右の取消又は変更を求めるいわゆる抗告訴訟は建設大臣及び収用委員会の各裁決並びに当事者の協議のあつたことが前提となつているからそれらの手続を経なければ適法に出訴できないことは勿論である。また損失補償に関する訴は裁決等の行政処分の取消又は変更を求めるものでなく、被告に対し、公法上の権利として補償を請求するものであり、形式的には行政事件訴訟特例法第一条の公法上の権利関係に関するいわゆる当事者訴訟であると解すべきであるけれども、なお収用委員会の裁決の内容を争う実質を保有するばかりでなく、右の抗告訴訟と平行して定められている手続であるから、条文の文句には協議については「協議しなければならない。」とあるに対し裁決については「収用委員会に裁決を申請することができる。」とあるにも拘らず、やはり協議及び収用委員会の裁決を経由せずに訴を提起することは許されないのであつて、協議及び裁決を経ることが適法に出訴するための前提要件であると解しなければならない。そして土地の収用又は使用、それに伴う損失の補償等が行政の技術的専門的考慮を必要とし、行政的裁量の余地も多いために、なるべく当事者又は行政庁の自主的解決に妥ねるのが公益の見地からも得策であり、当事者にとつてもあながち不利益とはいえないことを考えれば右のように解するのが適当であつて、別に国民の訴権を不当に制限するわけでもないことを是認することができる。

また同法第九十三条、前掲第九十四条、第百三十三条によれば収用又は使用の対象である土地以外の土地に対して取用又は使用による損失が及んだ場合の損失補償について、先づ起業者及び損失を受けた者は補償につき協議しなければならず、協議不成立のときはどちらからでも収用委員の裁決を申請することができ、裁決に不服のあるものは裁決書の送達を受けた日から三十日以内に裁決の相手方を被告として訴を提起することができる旨、すなわち前示手続のうち損失補償の手続とほぼ同じ手続が定められており、この場合も前示補償と附随的密接な関係がある場合であるから前示同様の理由で協議及び収用委員会の裁決を経ることが適法な訴提起の前提要件であると解しなければならない。

さて道路法第七十条は道路の新設又は改築によりその道路に面する土地につき、工作物を新築、修繕等したり、切土盛土をするやむを得ない必要があると認められる場合には、道路の管理者は損失を受けた者の請求により必要な費用の全部又は一部を補償すべき旨を規定するとゝもに、損失を受けた者が補償を請求するには、道路完了の日から一年以内に道路管理者と補償につき協議しなければならず、協議が成立しないときは収用委員会に対し土地収用法第九十四条の規定による裁決を申請することができる旨を規定し、道路法第七十条の損失補償の請求は前示収用又は使用の対象でない土地に関する損失補償と同じ手続に従わせることを規定しているから、この場合も協議及び収用委員会の裁決を経ることが訴提起の適法要件であるといわねばならない。尤もこの場合は土地等の収用又は使用そのものとは直接にも間接にも無関係ではあるけれども、道路の新設又は改築事業のため土地等が収用又は使用せられることは極めて多く右の土地収用法における収用又は使用の対象とならない土地の損失補償の場合と事柄の性質が類似しているのであるから同一の手続に依らせることは実質的にも決して不当ではないと考えられる。

原告は道路法第七十条の規定に該当する損失補償を請求原因として本訴を提起したのであるから、本訴が適法であるためには、前示の手続に従い、原告は先づ本件二級国道の管理者である大阪市長の属する自治体である大阪市に対し工事完了の日から一年以内に損失補償につき協議を求め、協議が成立しないときは大阪府収用委員会に対し裁決を申請し、裁決に不服であるときに始めて大阪市を被告として本訴を提起したのでなければならない。土地収用法第百三十三条第二項の「起業者」とあるのは本件の場合は当然道路の管理者と読み替えるべきであり、従つて大阪市長を相手方とすべきようであるけれども、前示の通り公法上の権利関係に関するいわゆる当事者訴訟と解せられる本件の訴では行政庁である大阪市長に当事者能力のないことは被告の主張する通りであり補償金の支払を求める相手方が人格者である自然人又は法人でなければならないことは当然であるから本件の場合には道路工事費の負担者であり、管理者所属の自治体である大阪市を相手方とすべきものと考えられる。

然るに原告は大阪市長を被告として本訴を提起した。のみならず、原告は工事着手の数日後から引続き大阪市土木局長等に対し損失補償を請求し、昭和三十二年六月二十四日付の書面で大阪市長に対し同様請求し、同市長から補償拒絶の通知を受取り、右請求は工事完了日から一年以内である旨すなわち適法に協議を求めたが成立しなかつた旨を主張しているようにとれるけれども、進んで大阪府収用委員会に対し裁決を申請したことは主張しないばかりか、かえつて申請しなかつたことを自認しており、現在も申請する意思を有しないことは口頭弁論の全趣旨から窺われる。

そうすると、本訴は当事者能力のない旨を被告としたこと及び出訴の前提要件である収用委員会の裁決を経ていない点で不適法であるといわねばならない。尤も被告を誤つた点は、本訴は前示の通り抗告訴訟的実質を保有するばかりでなく、本件の場合被告として大阪市長と大阪市といづれを選ぶべきであるかは関係条文の上からは必ずしも明かとはいえず、正当な解釈を一般に強いることは稍酷であるといえるから、原告が求釈明により又は自発的に被告の変更を申出でたときは行政事件訴訟特例法第七条を準用してこれを許容する余地があるように考えられる。

しかし右の裁決を経ていない違法は救済の余地がなく、いづれにせよ本訴は不適法としてこれを却下するほかはない。

原告は法律の専門家でないため救済の途を求めて徒らに奔走し遂に不適法な訴を提起したものであることはその主張からも充分推測せられ、本件の救済手続が比較的復雑であることも考えて同情に値する点があるけれども、そのような事情があるからといつて、前示手続きに関する解釈を緩和して本訴を適法とすることはできないと考えられる。

そこで訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十五条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 東民夫)

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